さめじま病院
平日/ 8:30〜16:30
土曜/ 8:30〜12:00

当院のご案内

災害医療への取り組み

病院として災害支援に関わること


院長 鮫島 隆晃

当院では、2011年の3月に発災した東日本大震災、2016年4月の熊本大地震に災害医療協力を行いました。東日本大震災の際には、まず、佐賀県JMAT(日本医師会災害医療チーム)として気仙沼地区の在宅訪問、気仙沼巡回療養支援隊に参加、次に同じく気仙沼市の精神科病院への病院支援と地域リハビリテーションの支援に携わりました。
熊本大地震の際には、JMATとして避難所の被災状況の調査確認や診察に協力しました。そして、派遣後もそれぞれの地域、病院との交流を持つことができました。また、現在ではDPAT(災害派遣精神医療チーム)派遣の為に2チームの研修を修了しています。

“被災地への最大の支援は人的支援である”という考えがあり、かつて阪神大震災の時に公私ともに何も出来なかったという後悔から、常に災害支援には迅速に協力するという気持ちでした。災害派遣の際には、病院内の診療体制にしわ寄せを来たしますが、派遣される職員だけではなく病院の全職員、そしてその家族の皆さんの協力により成り立っていると思っております。

昨年、原野診療部長が当院に着任されてから、災害医療に関する協力体制も今後さらに強化し、国際的に活動するNPO法人で災害医療、貧困対策のエキスパートであるAMDAと協力関係を締結しました。近い将来予想される南海トラフ地震・津波対策への体制作りに関しても共に取り組む予定です。

副看護部長兼2病棟師長
 吉浦康一郎

東日本大震災 被災地支援に参加して

私は、2011年6月末、宮城県気仙沼市にある被災した光ヶ丘保養園に1週間病院支援へ行きました。
津波は一時病院の2階まで達し、1階部分は損傷が著しく全く使えない状態でした。周りはがれきばかりで何もなく、余震は小さいものも含めると1日十数回続いており約3か月たっていても病院は困難な状況下で診療されている状況でした。

支援は院内看護業務の補佐、被災した入院患者さんのサポート、職員さんの思いの傾聴などをさせていただきました。支援にいったつもりでしたが、現地の皆さんの力強さや優しさに多くのものを学ばせていただきました。
災害支援では今、自分にできることを考え、できることからしていく。またその積みかさねが重要だということを学びました。

副看護部長兼外来師長
 吉浦美和子

2016年4月14日に発生した熊本地震の佐賀県医師会からのJMATの一員として

当院から医師1名、作業療法士1名、看護師2名出動しました。4月22日から5日間の支援でした。
治療に必要な最小限の物品を車に乗せ、地区の公民館へ出向きました。健康相談や血圧の薬、糖尿病治療薬等の必要な内服の相談がありました。
熊本地震は夜間の発生で家の中から緊急時避難できるように、車中泊の方が多かったことで、エコノミー症候群による、血栓症が多く聞かれました。
その予防として、同伴した作業療法士による体操や、予防などの説明もおこないました。

私たちの支援の時はライフラインも普及し始め不便さは感じませんでしたが、揺れが酷かった地区は、家は傾きつぶれたり、避難所での生活、自衛隊からの炊き出し、入浴環境の提供や物資の支援で生活されており、まだまだ心身両面への支援も必要であると感じました。

災害支援の現場は、情報は不十分で、あらゆる事態を想定した行動が必要になると感じました。また、必ずしも支援を受け入れて下さるとは限らないということも感じました。しかし、世話人の方が仲介役に入っていただきスムーズに対応することができました。現場でしか感じ取れない貴重なことを経験させてもらったと思っています。